2018年6月28日

ミニコラム・くわへり #3

最近どうも人死にが多いなあ、とずっと思っていたんですが、そう感じる一因として「新しく誰かを知ることが減っている」という事実が存在することにはたと気づきました。

わたくしは普段からテレビを全く見ない、映画もあまり見ない、ついでにいうとYouTubeも音楽関係の動画しか見ない、 という生活をずっと続けているせいで、今どんな人がメディアで人気だとかまったく知らないのです。もともと受動の姿勢のまま長時間じっとすることがあまり好きじゃない上、テレビで見聞きしたものに心を乱されるのが何だか疲れるし嫌だなあ、と思っているうちに自然と見なくなってしまったんですが。じゃあアンタは毎日何を見て暮らしているんだ、と言われるとまあ主にゲームなんですが、ゲームキャラクターは寿命で死んだりは(原則的に)しませんからな。死んでもリプレイすれば生き返るし。

こんなふうに入力が減る一方で出力が続けば、そりゃ認識もズレてくるわけで。やはりここは新陳代謝、古きものが出ていく速度に合わせて新しきものが入ってくる速度も上げていかなあかんのではないか、とは思うんですが、具体的にどうしたもんでしょうかね。何かまったく知らないジャンルの雑誌でも読んでみたら新しい人を知るきっかけになるでしょうか。「セブンティーン」とか「ジュリスト」とか。うーむ。


 

2018年6月9日

ミニコラム・くわへり #2

最近になって気がついたことに「ガンプラの作り方の問題」というものがあります。

ガンプラに限らずキャラクターもののプラモデルには、スケールモデルにはない玩具としての側面がある…というのは「ブンドド」なんていう言葉があることからも察せられますが、この「模型」と「玩具」という2つの側面はちゃんと切り分けて考えたほうがいいのでは、と思ったのでした。

例えばガンプラを一般的な「模型」として作るのであれば可動関節はそれほど必要ない、というかディテールアップのためにも関節は固定しちゃった方が楽だと思うんですが、そこで手にとって遊ぶための要素(関節の可動範囲の向上とか)も同時に追求しようとするから、ガンプラ作りがなんだか遠大な作業に感じられてしまうのではないかなあと。模型としての美しさと動かす楽しさが両立できないとは言いませんが、ナチュラルにそういう高い目標を設定してしまうのは趣味としてのモチベーションの低下にもつながると思うんですよね。 だからまずは「模型としての完成度」と「玩具としての完成度」、どちらか一方だけを(ちゃんと意識して)追求するべきなのかも。

しかし玩具としてプラモデルの完成度を高める手法は意外と模索されていない気もします。プラモデルをガチャガチャ動かして遊ぶための仕上げ方、例えば塗膜が剥げにくい塗装法とか、破損しやすい細かいパーツを頑丈なものに置き換える方法とか、そういったものはまだ研究の余地があるんじゃないでしょうか。ネタに困っているモデラーの皆さん!出番ですよ!


 

2018年6月8日

[新] ミニコラム・くわへり #1

くわへり、撮影中!(ドドン)

という訳で結局また毎度の記事のタイトル付けを放棄するに至ったのでした。一度戻ってみて分かったんですが、毎回タイトルを考えているとスナック感覚というか、ツイート的なフットワークの軽さが失われてしまって、書きたいことに追いつかなくなってしまうんですよね。不思議なことに。

ならまあ腰を据えてしっかりした記事を書いた時は別途タイトルをつけるとして、普段の記事はミニコラムのままでいいや、となったのでした。毎度お騒がせしますがよろしくどうぞ~。アイパルンボ!