2018年5月29日

「ウォークラフト」を観ました。

今更ですが映画「ウォークラフト」を観たので感想など。

全体的な印象としては「つまらなくはないけど色々と惜しい映画」という印象でした。特にオーディエンス側に原作ゲームの予備知識があるかどうかで印象がだいぶ変わる映画のような気がします。わたくしは以前長いこと「World of Warcraft」をプレイしていたので、そういう意味ではかなり楽しめたんですが、あんまり面白くなかったという意見も分かります。原作ゲームの要素を必要以上に盛り込みすぎたせいで、全体的に散漫な内容になってしまったという感じでしょうかね。

これについては恐らく、原作ゲームの大ファンであることを公言しているダンカン・ジョーンズ監督が私情に引きずられすぎたことが原因のような気がします。原作への愛着ゆえに作っている人が自分の作品を俯瞰で見られなくなることって、映画に限らずよくありますからね。あれも出したいこれも出したい、と欲張った結果「あいつウォークラフトの話になると早口になるの気持ち悪いよな…」みたいなことになっている、と思えばまあ微笑ましくもありますが。

ストーリーの結末もちょっとスッキリしないというか完全に次に繋げる終わり方になっていて、まあビッグタイトルだし最初からシリーズ化を視野に入れていたんでしょうが、ここでシリーズが頓挫したら悲しいですな。未だに第二の挑戦ができていない「レモ 第一の挑戦」みたいで。そもそもシリーズ作品というのはまず1作目が単品として完成していなければ成立しないものだと思うので、そこはちょっとディレクションを誤った感じがしなくもなく。うーむ

で細かい内容について。観ている時に一番気になったのはキャラクター造形の問題でした。主要キャラクターのビジュアル的な差別化に失敗しているというか、みんな似たような雰囲気になってしまっている感じで。リアルといえばリアルなのかもしれませんが、衣装の色調などにも大きな差異がないし、何よりヒゲキャラが多すぎ。チャールズ・ブロンソンに倣って、ヒゲは劇物であると心得るべきですな。全体的にキャラクター描写が薄いこともあって、なかなか感情移入できるところまで行けなかった、というのが正直な感想でした。

あと戦闘シーンがイマイチ盛り上がらないのも気になりましたが、これはアクション監督(とはハリウッドでは言わないか)の力量ですかね。撮り方もそうだし、キャストのアクションもなんだかみんなヘナヘナで迫力がないのがもったいない。あと大規模な戦闘シーンで定番の弓が出てこないのもちょっと謎かなと。初代ウォークラフトって弓兵ユニットはいなかったんですかね?

一方で劇伴については原作ゲームへの目配せがなさすぎて、これもちょっとバランスが悪いかなと。聞き覚えがあったのはスタッフロールで流れる「Legends of Azeroth」くらいかなあ。原作ゲームのBGMが良かっただけに残念、というのは個人的にラミン・ジャヴァディの劇伴があんまりしっくり来ない傾向があるのでそう感じるだけかもしれませんが。

と色々目についたところを列記してはみましたが、やっぱりファンとしては嬉しいクオリティの映画化でした。まだシリーズとして巻き返せる目は充分にあると思うので、次があるとしたら(というかないと困りますが)もうちょっとソリッドな内容を期待したいところですな。ウォークラフトファンとしてはアーサスとかスロールが出てきてからが本番、みたいなところもありますし。とここまで書いて自分もウォークラフトの話になると相当な早口になってしまっていることに気が付き、気持ち悪い…!


2018年5月18日

ペンネームを考えました。

文筆活動にもうちょっと真面目に取り組んでみようと思い、まず手始めにそれ用のペンネームを考えることにしました。

でしばらく考えて出来上がったのが「野村帯三」というペンネーム。あんまり変なのもどうかと思ってこうなったんですが、ちょっと地味すぎですかね。石坂泰三にもちょっと似てるし。ちなみに野村はうちの母方の名字で、帯三はオビサンジョ(映画『第9地区』に登場する悪役)から取りました。「野村帯三の残月館文庫」と書くとなんだかやたらと格調高いですが、実はその中にオビサンジョとジャンガッツカーンの要素が含まれているとはスパゲッティモンスター様でも気付くまい。

という訳で名義の使い分けは追々考えますが、どこかでこの名前を見かけることがあったら「あやつか…」と思っていただければ幸いです。とりあえずこのペンネームが(犯罪報道以外で)露出するようにがんばらねば。


 

2018年5月6日

ボデイシャスってなんですの。

以前、WWE(当時はたぶんまだWWF)のビデオを見ていた時のこと。何かPPV大会の一幕だったと思いますが、控室でのスキットの場面でアコライツ警備保障のブラッドショーが「伝説のボデイシャスがどうたらこうたらしたこの会場で!いっちょやってやろうじゃねえか!」みたいなことを突然言い出したことがあって。見ていたわたくしは「ボデイシャスって何…?」と困惑したものの、当時は特に調べたりもせずそのまま忘れていたのですが。

最近そのことをふと思い出して気になったので調べてみたところ、ボデイシャスとは「素晴らしい、驚異的な」という意味の形容詞で、また「世界で最も危険な雄牛」と呼ばれた有名なロデオブル(ロデオ競技用の雄牛)の名前でもあったようです(参考:Wikipedia)。ブラッドショーが言っていたのはこの雄牛のほうですな。

米国内でのこのロデオブルの一般的知名度をウェブから推し量るのはちょっと難しいですが、WWEスーパースターの興行開催地いじり(この場合はヨイショ)に登場するところからしても、少なくとも地元では有名なんでしょうな。日本でいうとオグリキャップとかそういう感じの立ち位置かもしれません。違うか。ちなみにアメリカ随一のヘンテコロックバンド・プライマスの「The Ballad of Bodacious」で歌われているのもこのロデオブルのことなんだとか。外国の文化からこういう風に芋づる式に知識が増えるのは楽しいことです。ありがとうウィキペディア。


 

2018年5月2日

ガードを下げよう。キュートシー。

最近、性格的な可愛げ、茶目っ気、キュートネス、といったものの重要性を痛感しております。

身の回りの例を思い返してみても、性格的に可愛いところがある人というのはやはり周囲の人々に好かれるし、少々やらかしても「こやつめハハハ」で流してもらえるようなイイ感じの立ち位置にいることが多く、人付き合いのヘタなわたくしはたいへんにうらやましい。もちろんそこで自分の可愛げを自覚して好き放題やってしまうと「可愛い」から「あざとい」という若干ネガティブな評価に変化してしまうので、可愛さというのもそれはそれで繊細なさじ加減の上に成り立っているのかもしれません。まあそのバランスを取る能力も含めて、持って生まれたナニカなのかも。

そしてその可愛げがどこから生じるのかといえば、おそらく「隙」とか「油断」からではないかと思うのです。わたくしの学生時代のある友人などはラグビー部に所属しつつファストフード店でのアルバイトも熱心に頑張るという壮健な男でしたが、一方で学校帰りにコージーコーナーでジャンボプリンを買い食いするようなキュートさも持ち合わせていたので、やはり人気がありました。特に下級生の女子に。うらやましい。

まあこれはギャップ萌えの一種のような気もしますが、とにかく人間どこかに隙を作っておくのは大事だなあと思うのです。他人に隙を見せないというのはとりつく島がないというのと同じことなので、他人の側からするとなかなか親近感が抱けませんし、隙かと思ったら当て身投げのモーションだった、みたいなこともありそうで(分かりにくい比喩)どうにも近寄りがたいですからして。

わたくしも生来の臆病な性格のせいか他人に隙を見せないよう身構えてしまうところが多分にあって、人に好かれず何かと不自由しているので、これからは隙を見せることを恐れず、できるだけ自然に油断することでちょいカワおやじを目指していこうと思います。スーツ姿のまま公園のベンチでロールちゃんを食べたり、ってこれはあざとい範疇か。うーむ。