2018年3月27日

ミニコラム・ちょろけん(仮) #45

以て自らの反面教師とするために身の回りにいるいわゆる「コミュ障」、の中でもアッパー系に分類されるであろう人、を観察しているんですが、なかなか辛いものがあります。実際のところは観察というか、そういう体で一歩引いて接していないと不快だからやむを得ずそうしている、というだけの話なんですけども。

で見ていてとりあえず分かったのは、このタイプのコミュ障は「あくまで自分中心で、話し相手の感情を一切考慮しない」というミーイズムと他者への無関心から発生しているっぽい、ということ。自分が話したいからという理由で場にそぐわない話題を延々続けたり、本人はツッコミのつもりで揚げ足を取って話の腰を折ったり。でもそういう人に限って自分のことをコミュ障だと思っていなかったりするんだから不思議、というか、やれん。わたくしも大概なコミュ障で、いままで何度も人間関係で苦い失敗をした経験がありますが、それにしたってこんなにひどくはなかったぞ!…多分!ということでまあ、彼らから学ぶこともそれなりにあるような気は、します。彼らが自らを省みてミーイズムから脱却、話し相手の気持ちが察せるようになるには、多分もうちょっと苦い経験をしないと駄目なんだろうなあ、何ならワシが経験させたろか、なんて思いつつ、今日も死んだ魚のような目でアー、ソーダネー、ウンウン、と生返事。

そう思うと漫画「古見さんは、コミュ症です。」の主人公・古見硝子ちゃんなどはまだ可愛い方…というかあれはコミュ障でもダウナー系のそれに属するタイプだと思うので比較対象にはならないかもですが。いやもう本当に、世の中のコミュ障の人がみんな古見さんくらい可愛ければいいのに。


2018年3月22日

ミニコラム・ちょろけん(仮) #44

「天元突破グレンラガン」とか「キルラキル」というと国内以上に海外での評価が高いアニメという印象があります。

どちらも個人的に好きな作品なのでそれはまあ嬉しいことなんですが、ここで海外ウケの理由を考えてみると、まず思い当たるのがストーリーの「起承転結」。まず掴みから入って中盤からクライマックスに向けて盛り上げていって、最後にドーンと大爆発してあとに何も残らないくらいスッキリ終わる、というエンターテインメント作品の基本がちゃんと守られているのがやはり大きいのでは。日本のアニメってなぜかぬる~く盛り上げてふわっと着地、ぼんやり終わって「…2期やるの?」みたいな作品がことさら多い気がするので。

視聴後のスッキリ感については、物語の中で伏せられていた謎がおおむね劇中でちゃんと説明されるというのもあるのかな。伏線はやっぱり回収されて「ああ、そういうことなのか!」と腑に落ちたときに初めて気持ちよく感じるものなので、(作為のあるなしにかかわらず)回収できずに終わるのはやっぱり良くないですやね。「キルラキル」について「きれいに終わりすぎて見たあとに語ることがない」というアニメファンの意見を聞いたことがあるんですが、見た後に内容を考察したりするのはあくまで副次的な楽しみですよ、と。そこを「わざと考察の余地を残しておいたのでぜひ考察してください」みたいに作り手側に提供されちゃったら興ざめでしょう。

あとはどちらの作品も作風が極めてマッチョであること(ここでいうマッチョは筋肉モリモリという意味ではなく「男らしさ」のことです、念のため)。これはシリーズ構成を担当した脚本家の中島かずきが自らを「ゲッター者」と称するほどのゲッターロボ…というか石川賢ファンであることの影響なんでしょうね。石川賢作品ってどれもマッチョだもんなあ。ゲッターロボの主人公も空手家と学生運動家と柔道家のトリオだし。「新世紀エヴァンゲリオン」あたりから増えたしねしね悩んでばかりいる内向的なもやしっ子主人公は、国内のアニメ視聴者の共感は得られるにしてもやっぱり海外では受けませんよな~。

ということでこれから海外に受けるIPを作りたい!という業界関係者の方はこういうところに留意すればよろしいのではないでしょうか。以上、ロンドンからピーター・バラカンがお届けしました。ごめんウソついた。


 

2018年3月19日

ミニコラム・ちょろけん(仮) #43

自分の探している曲が手に入りにくいレアトラックだったりすると困るよね、という話。

ジューク(Juke)というシカゴ発祥のダンスミュージックがあって、数年前から時々聴いています。これはざっくり言うと高速なフットワークでダンスバトルするためのテンポの速いハウスミュージックなんですが、そういったジャンルを掘り下げている途中でとても気になったのがこの曲、RP Booの「Bow Oh」。下の動画の0:15~あたりから。


バウバウ!オーオー!って凄いキュート&バカで最高だと思うんですが、 この曲は今まで公式にリリースされておらず、どうもちゃんとした音源は関係者だけが持っているような感じなんですな。動画以外でダウンロードして聴けるのはRP Boo本人がイギリスのウェブマガジン・FACTに提供したミックステープのみ(多分)。ずっと気になっているのでいつかアルバムにでも収録していただきたいものですが。うーむ。


関係者向け音源といえばわたくしも身に覚えがあって、こんなものを持っているのでした。ナードコア時代のレオパルドンのイベント限定CD-R「米そう動」…の関係者向けバージョン、「米しょう軍」。もしかしたらこのCD-Rにしか入っていない曲を探している人もいるかもしれませんな。レオパルさん(政所就任以前の呼び方)とは色々あってすっかり縁遠くなってしまいましたが、別に関係がこじれている訳ではないのでいずれまた会ってバカ話のひとつでもしたいもんですよ、ふほほ。って客席後方で関係者面してもいいでしょうか。だめですか。


 

2018年3月13日

ミニコラム・ちょろけん(仮) #42

長い間聴き続けているお気に入りのアルバムって、振り返ってみるとだいたいどれも第一印象はイマイチだったような気がします。

買ったあと2~3回通して聴いてみたもののどうも印象が悪く、CD棚にしまったまま忘れていたものが、ある日突然脳内に曲がよぎったので改めて聴いてみたらアレ?これ結構良くない?みたいな経験、ありませんかね。わたくしは結構あるんですが。逆に第一印象が良すぎるアルバムは飽きるのも早いというか、長く聴くことがあまりないような気がします。

考えてみるとこれは玩具についてもそうで、凝った作りのカッコいいハイエンド玩具は開封してちょっと触ったら満足してしまってそのまま死蔵、一方で長いあいだ手にとって遊びつづけるのはシンプルな作りの子供向け玩具だったり…ってこれはまたちょっと違うような気もしますが、とにかく人がつくるあらゆるものに「後からわかってくる味」みたいなものが存在すると思うので、例えば(特に商業媒体のために締切を設けて書かれた)インプレッション的な記事はあまりアテにならないかもなあ、と思ったのでした。よく結婚生活について言われる「美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れる」はあまねくものに通じる真理、なの、かも。


 

2018年3月10日

ミニコラム・ちょろけん(仮) #41

「え、これ方言だったの?」というよくある話。

手などを何かになすりつけることを子供の頃から「ぬすくる」とか「なびる」と言っていたんですが、どうやらこれは方言だったようで友人には通じなかったのでした。念のため調べてみると「ぬすくる」は山口弁、「なびる」は埼玉弁らしく、どっちも個人的に縁のある土地なのでなるほどなあと納得。山口弁については祖父母がよく使っていた「わや」(目茶苦茶の意)とか「えらい」(疲れたの意)あたりも印象深いですが、調べてみるとこれは関西を中心に色々なところで使われているみたいですな。あとは「とても」みたいな形容詞を強める表現として「莫大」という言葉をよく使っていた(「莫大ウマい」など)記憶があるものの、これは検索しても出てこなかったのでマイナーな奴かもしれません。

あと方言というと「関東の人間が関西弁を怖がる(ガラが悪いと感じる)ように、関西人は群馬弁を怖がる」という話を高校時代に古典の先生から聞いたのを未だに覚えているんですが、真偽は未だに不明。高校の所在地が群馬に近かったせいでそちらから来ている生徒も多かったものの、彼らの使っていた方言というと「~なんかさー?」(~なの?の意)と「~だで」(~じゃんの意)くらいしか今となっては思い出せず。群馬から通っていた不良たちが朝鮮学校の不良たちと血みどろの抗争を繰り広げていたとかアレな昔話も多かったですが、わたくしが通っていた頃はいい先生ばっかりで風通しのいい高校だったなあ、と今になってぼんやり思い返したり。いや高校の話じゃなくて方言の話だったんですが、まあいいか。

ちなみにワンポイント群馬弁(?)として、人を褒めるときなどに使う「やるんだで」(やるじゃんの意)という表現をオススメしておきます。群馬人の前で使ったら「やるんだで」と思われるかも。思われないかも。

 

2018年3月4日

ミニコラム・ちょろけん(仮) #40

わたくしがネット上で「わたくし」という一人称を使うようになってからもうけっこう経つのですが。

この一人称、実は田中角栄が由来だったりします。 といっても彼に心酔しているので真似たというわけではなく、個人的バイブルのひとつである「VOWでやんす!」にバカ本として紹介されていた彼の著書「自伝 わたくしの少年時代」のタイトルを見て、冗談半分で使うようになっただけなんですけどね。

羽生善治の信条として「言葉は人をつくる」というものがあるそうですがこれは本当にその通りで、一人称を「わたくし」に変えただけで雑な物言いや汚い言葉遣いをなんとなく避けるようになり、そのうち些細な言い間違いや誤字脱字なども異常に気にするようになり、最終的には一回ツイートするのに一時間くらい推敲したりするようになった…のはさすがに自分でもどうかと思ったので、今は意識してあまり考えすぎないようにしていますが。とにかく言葉に気をつけるようになりました。

言葉と人となり、といえばしばらく前の小室哲哉と週刊文春の騒動なんかもそうで、ニュース記事を読んだわたくしには騒動そのものよりも、引き合いに出された堀江貴文のコメントの口汚さのほうが強く印象に残りました。ああいう人はやっぱり発する言葉もこうなんだなあ、みたいな。

こんなことを書くとわたくしの実際の人となりを知る人には「お前みたいな下衆な奴が何を言っているんだ」と思われてしまうかもしれませんが、人間表裏があるのは当たり前で、そこで少なくとも公の場では気を遣って裏のほうをあまり出さない、みうらじゅん言うところの「不自然体」もひとつのカッコいいあり方ではないかなあと思った次第です。というか以前ツイッターの非公開アカウントで裏のほうの自分を吐き出していた時期があって、あとでそのログを読み返して自分の下衆さに心底ぐんにょりしたので、そこはもう表に出すまいという気持ちになったのでした。こういう経験があるかないかで自分の発言に対する見方が変わってくる気がするので、みんな一度非公開アカウントを作ってやってみるといいんではないでしょうか。ってそんなことを勧めるんじゃないよという話ではありますな。うぐぐ。