2016年12月3日

1991年のシュートサイン

皆様はファイティング・ネットワーク・リングス、通称「リングス」をご存知でしょうか。


リングスは新日本プロレスから分派したUWFがさらに分派して誕生した格闘技団体の一つで、主催者は前田日明。1991年の旗揚げ当初は顔面へのパンチとグラウンドでの打撃禁止、ポイント制を採用した明快な勝敗ルール、大会の優勝者にはチャンピオンベルトではなくウィニングローレル(月桂冠)が贈られる、など他の団体よりクリーンでアマチュアスポーツ的なアプローチが特徴でした。当時わたくしはこのリングスが大好きで、よく友人に録画ビデオを借りて観ていたのでした。

この頃のリングスについて、その性質が「プロレス」(=試合結果に作為が含まれる格闘技興行の意)であった事は今はもう周知の事実なんですが、それを差し引いても物凄く面白かったんですよね。後により総合格闘技色の強いKOK(King of Kings)ルールが導入されて、それ以降は作為のない真剣勝負になった(とされている)んですが、やっぱりその頃の試合は味も素っ気もなくて正直あまり面白くなかったですし。エメリヤーエンコ・ヒョードルやアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを発掘したという点でその歴史的意義は買いますけども…。

とまあルールについての話はさておき。他にはないリングスの魅力として真っ先に挙げられるのが「格闘技ネットワーク構想」によって世界各国からやってくる外国人選手。普通のプロレスであれば主に英米圏から選手が来るんですが、リングスにやってくるのは主にロシアやグルジア、ブルガリア、オランダといった欧州(特に東欧)の選手たちで、そのエキゾチシズムが当時のわたくしにはとても新鮮だったのでした。

特にわたくしが熱心に見ていた頃はヴォルク・ハン(リングス・ロシア)とビターゼ・タリエル(リングス・グルシア)がツートップとしてしのぎを削っていた時代で、2人の試合はいつ見ても本当に面白かった。コマンドサンボを操る寝技の達人のハンは腹部が打たれ弱く、極真空手出身のタリエルの豪快なボディブローを食らって頻繁にダウンしたり。その一方で寝技に不慣れなタリエルはグラウンドに持ち込まれると何も出来ず、不用意に胴回し回転蹴りを繰り出して体勢を崩したところをハンに付け込まれてチョークスリーパーで仕留められる、なんていうパターンもよくありました。スタンドとグラウンド、打撃と寝技。今考えても本当に分かりやすい理想的な構図ですよね。

またそのビターゼ・タリエルの弟でビターゼ・アミランという選手もいて何度か登場したのですが、本当にタリエルが細くなっただけみたいな感じで面白かったです。細いだけあって動きに兄ほどの迫力はなく、胴回し回転蹴りを無闇にぶっぱしてピンチに陥る頻度も兄以上。髪の毛も兄より薄め。今思うと実に味が濃い兄弟キャラでした。

ちなみに当時のリングスで覇を競っていたのは主にリングス・オランダとリングス・ロシアだったんですが、キャラクターの濃さに関しては確実にリングス・ロシアに軍配が上がる…と思っています。前述のヴォルク・ハンは「軍隊式格闘術の達人」というおっかない触れ込みで顔も怖いんですが、手品が趣味という意外な一面があって、カメラに向かってはにかみながら手品を見せてくれる映像はかなりのギャップ萌え感がありました。ちなみにヴォルクはロシア語で「狼」の意。リングス・ロシアには他にもこういうリングネームを付けている選手が何人かいましたな。グロム・ザザ(グロム=雷)とかゲナジー・ギガント(ギガント=巨人)とか。あとはハンサムなズーエフ先生とか中堅どころとしてよく若手と試合を組まされていた筋肉ダルマのイリューヒン・ミーシャ、見た目は全く冴えないハゲ親父だけど実は結構強いアンドレイ・コピィロフのガス欠芸&痛がり芸などが印象に残っています。

一方のリングス・オランダについて真っ先に思い出すのはクリス・ドールマンでもディック・フライでもなく中堅のウィリー・ピータース。当時リングス・ジャパンには「ピータース越え」という一種の関門のようなものが存在していて、若手選手が一人前と認められるためにはまずウィリー・ピータースに勝利しなくてはならなかったのでした。今思うと何故ピータース?という疑問も感じますが、当時のリングス・ジャパンの若手だった成瀬昌由、山本宜久、坂田亘あたりは実際このあたりでモタモタしていた印象があって、何だかだらしないなァと当時ぼんやり思っていた記憶があります。今や小池栄子の旦那としてのみ一般に認知されている坂田亘、結局ピータース越えは果たしたんでしたっけ?

あとリングス・ジャパンだとあれですな。長井満也がネックロック以外ほとんど何も出来ないアマレス出身のゴギテゼ・バクーリ(リングス・グルジア)にそのネックロックで敗れた後、控室でヤケを起こして泣きながら備品に八つ当たりしていたシーンがとても印象的でした。高阪剛と田村潔司が台頭してくるまでのリングス・ジャパンは本当に不甲斐なかった…。

あとはディミータ・ペトコフ(リングス・ブルガリア)のある日の試合用タイツの生地が薄く、縞々のインナーパンツすなわち縞パンが透けて見えていて何だか嫌だったなあ、とか。高阪剛の紫色の試合用タイツが何故か汗染みの目立つ素材で出来ていて、よく試合中に会陰部分に汗染みが出来ているのが何だか嫌だったなあ、とか。ちょんまげ頭のボリス・ジュリアスコフ(リングス・ブルガリア)はタックルを切る動作だけやたら上手かったなあ、とか。そういう変な記憶も結構あります。(追記:この文章を書いた大分後になって気付きましたが、縞パンが透けていたのはディミータ・ペトコフではなくハハレイシビリ・ダビッドだったかもしれません。映像を持っていないため確認取れず。)

いつかここら辺の古い試合の映像を見ながら酒でも飲みたいと思っているんですが、なかなか実現できないので今後の課題にしたいと思います。ロフトプラスワンあたりでそういうイベントを開催したら結構盛り上がりそうな気もするので、誰かやってくれないかしらん。